HOME | 映画レビュー | ショッピング | データベース | About
シアフレ.blog
ようこそ 『 Theater Friends - シアターフレンズ - 』 へ。シアフレ.blogはユーザー参加型の映画レビューブログです。
皆さんの評価&レビューのコメントをお待ちしております。
『香川照之』のプロフィール

香川照之 Teruyuki Kagawa

画像『香川照之』

出身地
東京都
生年月日
1965/12/07
デビュー作品
画像・壁紙
『香川照之』google画像検索 画像
『香川照之』Yahoo!画像検索 画像
商品一覧
スポンサーリンク

作品リスト
犬、走る DOG RACE (1998)
蛇の道 (1998)
歩く、人 (2001)
赤い月 (2003)
スポンサーサイト


スポンサーリンク
いつもありがとうございます。
気に入って頂けたら、クリックお願いします。
映画(全般)ランキング

コメント
この記事へのコメント
香川照之さんが、「この映画、『ジョン・ラーベ』を見て、本当に日本人は残忍なことを多くしたのだということを知りました。 確かにそれを受け入れることは非常に難しい。難しいですが、現代の人たちにこの歴史を語る必要があります。そういう意味では、私は確かにこのようなテーマの映画が好きです」     http://www.excite.co.jp/News/china/20090401/Searchina_20090401082.htm  とありますが、これは事実でしょうか? 香川さんは、残忍な殺人+食人をする、中国人のことをご存知でしょうか?   中国人の殺人+食人については、たくさんの本が書かれており、インターネット上にも大量の情報があります。 その中国人が、日本人を含む外国人を残虐な方法で大量殺人したので戦争になったのだと思いますが。
- - -
2009.04.01 * URLURL * PAGE TOP△

追)
こういうBLOGもあります。     http://5960.iza.ne.jp/blog/     
ご覧になって後、ご感想を伺いたい。

- - -
2009.04.01 * URLURL * PAGE TOP△
香川さんは、黄河決壊事件をご存知ですか?       
1937年の日中戦争開始より日本帝国陸軍は中国中心部への進軍を急速にすすめた為、
1938年6月までに日本は中国北部の全てを支配するに至った。6月6日に、日本は
河南(Henan)の中心地である開封を占領、鄭州が攻略される様相となった。
鄭州は交通の動脈である平漢と隴海の両鉄道路線の合流点であり、
日本の攻略が成功することは、国民党政府にとって武漢と西安の主要都市の危機に直結することだった。

早急な対策が求められた国民党軍側では劉峠第一戦区副司令官の
「黄河の堤防破壊により洪水を起すことによって日本軍の進撃を阻止」する案が程潜司令官に示され、
蒋介石の承認を得た。

商震将軍は蒋介石から日本軍前衛部隊の背後を突くように堤防爆破を命じられたが、
国民党軍の撤退が終わるまで爆破を延ばしていた。この間、蒋介石は何度もその爆破が行われたかの
問い合わせを行っている。

6月7日には中牟近くで爆破が行われたが、この作業は結果として失敗し、場所を花園口に変更して
作業が進められ、6月9日午前9時に作業が終了し黄河の水は堤防の外に流れ出した。
そして、河南、安徽と江蘇の3省の土地54,000平方kmを水浸しにした。この結果として黄河の流れは
その後9年間は南側へ変わった。水没した範囲は11都市と4,000の村におよび、3省の農地は農作物ごと破壊され、
水死者100万人、被害者600万人と言われるが被害の程度については諸説ある。

国民党軍の作業は5月下旬から確認された。国民党軍は1個師団の兵と付近の農民を強制し、開封陥落直前には
約8Kmにわたって決壊させたが、これは雨期に入る開封一帯を水浸しにするものだった。
6月9日に続いて6月11日夜にも隴海線中牟の西方20Kmの地点で黄河の堤防3箇所が破壊され、
二、三日前の雨で増水した水は堰を切って奔流しつつあったため12日午後5時2つの日本軍部隊は堤防修理に出動し、
開封治安維持会からも50名以上が自発的に応援に出た。洪水は刻々と広がり中牟を中心として幅約20Kmにわたり、
濁水は満々として5m弱の高さを持った中牟城壁は30cm程度を残すだけとなった。幸い線路の位置が高かったため
住民は線路伝いに徒歩で東方に避難した。日本軍は筏船百数十艘を出して住民とともに救助活動を行い、
同時に氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘導するために堤防と河道を築いた[11]。この惨状の中で幸運にも
日本軍には犠牲者も被害も殆どなかった。また日本軍の堤防修理や避難民救済の活動により中国民衆の
日本軍に対する理解が深まり、図らずも日本軍と中国民衆を固く結びつける機会となった。
- - -
2009.04.01 * URLURL * PAGE TOP△
コメントを投稿する
URL :
コメント :
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。